古典派シンフォニー

百花繚乱

 

ゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイル

Georg Christoph Wagenseil 1715-1777


 ウィーンに生まれ24歳で当地の宮廷作曲家に任命されたヴァーゲンザイル。しかしマリア・テレージアが父カールⅥ世から王位を引き継いだ頃のハプスブルク宮廷の音楽をとりまく状況は、その王女の意とは裏腹に経済的な理由から斜陽の一途をたどっていました。そんな中生涯に渡り、最初はオペラの作曲家として、そして大規模なオペラ公演の機会が減るにつれて、1749年には〈宮廷鍵盤楽器マイスター〉の肩書きを得て王女などの教師として、鍵盤楽器奏者として活躍したヴァーゲンザイルは、時代とともに移り行く趣味に適応しながら宮廷との関わりを持ち続けました。

 1750年に皇太后エリザベート・クリスティーネの礼拝堂のためのオルガニストと、宗教音楽作曲家としての公務を辞すと、鍵盤楽器やオーケストラのための作品の創作に意欲を顕し、様々なジャンル、編成のための作品を書き連ねます。それらは特にパリの出版業者から求められ、夥しい数の出版譜が出されました。100曲に近い数のシンフォニー、100曲以上のコンチェルト、170曲を超える室内楽作品とディヴェルティメント、数え切れないほどの鍵盤楽器のための作品の他に舞台作品、オラトリオやミサ曲などを生涯に作曲したとのこと。それに伴い国際的な名声も高まりました。

 1762年10月のウィーンを訪れたモーツァルト一家(姉弟)が皇帝一族の御前で演奏した際の数々のエピソードの中に、6歳のモーツァルトがヴァーゲンザイルに向かって、「あなたのコンチェルトをひとつ弾きますから、私のために譜めくりをなさらなければなりません」と言ったというものがありますが、ヴァーゲンザイルはこの頃、ハプスブルク帝国で最も偉大な作曲家として君臨していたのです。

 チャールズ・バーニーも、1772年にウィーンに到着したときに「この地にハッセ、グルック、ヴァーゲンザイルに続く偉大な音楽家はいないのか」と尋ねたとのこと。

 「並外れた表現力で演奏し、フーガの完璧な即興演奏ができた」とシューバルトに評された通り、ヴァーゲンザイルはクラヴィーアのヴィルトゥオーゾとして後半生を送ります。ウィーンの街を「クラヴィーアの国」と言ったのはモーツァルトですが、ヴァーゲンザイルが蒔いた種は後に大きく花開くことになったのです。シンフォニーにも積極的に筆を染め、やはり印刷譜のかたちで広く流布し、パリのコンセール・スピリテュエルの演目にも登るなど盛んに演奏されました。

 これらヴァーゲンザイルが後年に残した器楽作品は、王宮での演奏よりも、当時勃興しつつあったブルジョワたちに人気を得て、主に家庭やサロンで演奏されました。

 前古典派と言われる時代に生きたヴァーゲンザイルは、音楽に対する価値観が日々激変してゆく中で、ハイドンと同じように多くの実験を繰り返し、創意工夫を怠ることがありませんでした。

 ハイドンにもモーツァルトにも一目置かれていたヴァーゲンザイルの現代における復興はまだまだ。これからどんな作品が掘り起こされてくるのか楽しみな作曲家です。

【G.Ch.ヴァーゲンザイルの肖像画】


[ゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイルのシンフォニーを聴く]

シンフォニー ト長調 WV413


 1750年代後半に書かれた3楽章制のシンフォニー。活気溢れる第1楽章は細かいモティーフの積み重ねから成り、弦楽器で和音が打ち鳴らされる度に調が変化し、関係調の間を行き来します。爽快感に思わず乗せられてしまう愉快な楽章。第2楽章は、第2ヴァイオリン以下の奏でる和声の絨毯の上で、繊細なメロディーがヴァイオリンにより奏でられるメランコリックな短調楽章。Tempo di Minuettoというテンポ表示をもつ第3楽章ですが、優雅な宮廷の舞踊というよりも、快活な転回を伴うお茶目でウィットの効いたメヌエットになっています。

(2015.7.12)


【関連動画】

G.Ch.ヴァーゲンザイル: シンフォニー ト長調 WV413

オルフェオ・バロック・オーケストラ、ミヒ・ガイク(指揮)☆