古典派シンフォニー

百花繚乱

 

ガエターノ・ブルネッティ

Gaetano Brunetti ca1744-1798


 1702年に起こったスペイン継承戦争を経て中央集権化が進み、名実ともにスペインという国の体制が整った18世紀。ブルボン家による統治がナポレオンの時代まで続いたのですが、この間、この国を治めた各国王ともに文化に対して豊かな見識をもっていました。

 1746年に王位についたフェルナンド6世が王妃に迎えたのは、かのマリア・バルバラ。彼女がポルトガルからドメニコ・スカルラッティ(Domenico Scarlatti)を連れてマドリッドに入城したことは音楽の世界では有名な話です。

 その後を継いだ弟カルロス3世も音楽好きで、その息子、カルロス4世にいたっては、狩りの腕と並んでかなり上手にヴァイオリンを弾いたとのこと。

 カルロス4世の宮廷は、社会的、政治的には弱体であったことは史実から認めざるを得ないところですが、彼の治世中、宮廷内に芸術の香りが失われることはありませんでした。フランシスコ・デ・ゴヤを宮廷画家として雇い、音楽を愛したカルロス4世は、ナポリで育ち、パロマの公女を迎えたことと無縁ではないのでしょう。宮廷にはイタリア人の友や音楽家が多く雇われていました。

 そのカルロス4世にヴァイオリンを教えたのが、ここで扱うブルネッティです。

 ブルネッティは、イタリアに生まれ、ヴァイオリンの腕を上げ、マドリッドに移住。1767年に宮廷に雇い入れられ、70年からは、後にカルロス4世となる王子のヴァイオリンの教師になったとは上述しました。

 彼は、カルロス3世の時代より、宮廷のヴァイオリニストの地位から、次第に室内楽やオーケストラなどのアンサンブルの監督を任されるようになり、宮廷内でかなり優遇を受けていました。ヴァイオリンのためのソナタや、宮廷内で演奏されるための室内楽やシンフォニーを量産。シンフォニーの数は、スペインで同時期に活躍していたボッケリーニを上回る40曲以上が知られているのですから、ブルネッティが18世紀スペインにおける最大のシンフォニストということになります。

 ヨーロッパの中心から外れた文化的僻地であったマドリッドにあって、ブルネッティは、ハイドンの作品を始め、ヨーロッパ中の作曲家の作品を、彼の指導するオーケストラのレパートリーに幅広く取り入れていて、熱心に当時の先端を行く音楽を学んでいました。

 国王が初期古典派の作曲様式を好んでいたこともあり、ブルネッティは新旧の様式を巧みに自身の作品に取り込み、想像力豊かな作品をつくりだしました。

 しかし、ブルネッティが仕えたふたりの王は、彼の作品を半ば門外不出として、広く演奏されることも出版することも許さなかったとのこと。それでも彼は、文化的刺激に富んだ宮廷内での境遇には満足していたようです。マドリッド近郊のアルバ公の元や、いくつかの宮廷との行き来はありましたが、ブルネッティは、亡くなるまでスペインから外に出ることはなかったとのことです。


[ガエターノ・ブルネッティのシンフォニーを聴く]

シンフォニー 第22番 ト短調


 なんというメランコリックな曲頭でしょう。ハラハラと3連符で落ちるppで奏でられるヴァイオリン。それに応えるため息。その後3連音符はさまざまに彩られてゆきます。第2主題部は長調に転じますが、曲の雰囲気は各部分が密接に関連づけられるように十分に練られています。

 「愛のアンダンテ」と作曲家による指示をもつ第2楽章は、弦楽器に弱音器がつけられ、ホルンからオーボエへと旋律が受け継がれ色彩が移ろいゆく、繊細な歌にあふれた美しい楽章です。

 ブルネッティは第3楽章に、メヌエットではなく2拍子系のコントルダンスを採用。〈五重奏〉と名づけられたその楽章は、A-B-Aの3部形式になっていて、Aの部分が管楽だけで奏でられる五重奏(2本のオーボエ、2本のホルン、1本のファゴット)。Bの部分が弦楽合奏。特にこの作品では両者は鋭いコントラストを成して対立しています。

 第4楽章は、コンパクトながら互いに有機的な関係をもった部分が経巡るとてもユニークなロンド形式。短い動機が跳ね回り旋回する息をつかせぬ展開技法に脱帽。なんと独創的で創意あふれるシンフォニーでしょう!

(2016.1.15)


【関連動画】

G.ブルネッティ: シンフォニー 第8番 ヘ長調

カメラータ・アントニオ・ソレール、グスタヴォ・サンチェス(指揮)