古典派シンフォニー

百花繚乱

 

ヨハン・バプティスト・ヴァンハル

Johann Baptist Vanhal 1739-1813


 ヴァンハルの名をチェコ語で綴ればJan Křtitel Vaňhalとなります。ヴァニュハルという農奴の家の息子としてボヘミアのノヴェー・ネハニツェという村に生を受けました。その村のオルガニストを兼ねる教師から手ほどきを受け、才能をあらわしたのでしょう。1761年には、ヴァンハルのヴァイオリンの演奏と作品に感動したシャフゴッチュ伯爵夫人に見出され、ウィーンへ迎えられます。帝都ではディッタースドルフに師事し、作曲家、教師として名を挙げてゆきます。その後パトロンの助けによりイタリア行きが実現。16ヶ月のイタリア滞在の中で2曲のオペラを完成させます。ウィーンに帰ってからは、貴族や宮廷の庇護を受けず独立した作曲家として活動を始め、あらゆるジャンルに筆を染めたくさんの曲を作りました。研究者ドゥラバチによるとシンフォニーが100曲、四重奏曲100曲、室内楽曲、鍵盤作品、教会音楽まで、700曲を超える印刷譜が現存しているとのこと(真作はそれよりも少なかろう、というのが最近の研究成果)。それらの作品は手稿譜や印刷譜でヨーロッパ中に広まり、1800年にはアメリカにまで及びました。

 ヴァンハルは愛想のよい魅力的な性格で、高潔なウィーン市民として尊敬されていました。しかし、精神障害(うつ病?)を患っていて、そんな理由からも定職を得ることができなかったのではと言われています。しかし、優しい人柄のヴァンハルには様々な奏者との交流もあったのでしょう。コントラバスやファゴットのための協奏曲、ヴィオラやクラリネットのためのソナタなど、一風変わった編成の作品が残されていて、例えばコントラバス奏者にとっては今でもヴァンハルは重要な作曲家として誰もが知る存在になっています。

 ヴァンハルはチェロもよく弾き、ハイドン、ディッタースドルフ、モーツァルトと少なくとも一回は弦楽四重奏曲を演奏するために相見えたという逸話が残されています。

【J.B.ヴァンハルの肖像画】


[ヨハン・バプティスト・ヴァンハルのシンフォニーを聴く]

 シンフォニー ト短調 Bryan g1


 初期古典派の時代、ウィーンにおけるヴァンハルのシンフォニーの位置はとても重要で、事実1760-70年代においては、ハイドンやディッタースドルフのシンフォニーより人気があったのです。

 ブライアンの分類した作品番号g1のシンフォニーは、激しい感情を爆発させるシュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)とよばれる表現手段により書かれています。ヴァンハルの調選択は、当時の作曲家の中でも短調の割合が抜きん出て高く、その感情表出の豊かさ、激しさは、現代の我々が聴いてもショッキングなほど。このト短調のシンフォニーは、メヌエットが配された4つの楽章からなるウィーン・スタイルによる作品です。

 第1楽章のト短調の主題は嵐に翻弄されるような激しさをもちますが、歌謡性も備えられていて、「疾走する悲しみ」という小林秀雄氏によってモーツァルトの短調作品に形容された言葉がそのまま当てはまるような作品になっています。短調と長調を自在に行き来する転調テクニックは劇的で息をつかせぬドラマを生み出すことに成功。手に汗握る緊張感がたまりません。第2楽章は、一転してセレナードのような歌にあふれる、ヴァイオリンとヴィオラがソロとなるコンチェルタント楽章。モーツァルトの名作セレナーデ〈ハフナー〉のメヌエットを思わせるような哀愁漂う舞踏音楽の第3楽章。研究家、ブライアン(Paul Bryan)によれば、このシンフォニーはヴァンハルの作曲活動初期のもので、ハイドンの影響を受けていない時代の作品とのこと。仮に、この第4楽章がハイドンからの影響なしに書かれたとすると、ヴァンハルのウィーン古典派に及ぼした影響はかなり大きいということになります。

 ヴァンハルの歌のセンスは全楽章にわたって際立っていて、形式美と歌謡性の融合という点で、モーツァルトも脱帽するような見事さをみることができます。

(2015.5.25)


【関連動画】

J.B.ヴァンハル: シンフォニー ト短調 Bryan g1

コンチェルト・ケルン